運行前自動点呼が始まった今、あらためて「点呼」の意味を考える

今年から解禁された「運行前の自動点呼」

2024年の制度改正により、運行前点呼にも自動点呼が認められるようになりました。
運送業界全体で見れば、これは間違いなく大きな転換点です。

慢性的な人手不足、24時間体制が組めない営業所、運行管理者の高齢化——。
こうした現実を考えれば、「自動点呼」という選択肢が生まれたこと自体を、頭ごなしに否定することはできません。

それでもなお、私は今も強く感じています。

対面点呼に勝るものはないのではないか、と。


郵政の点呼未実施問題が突きつけた現実

日本郵政グループで明らかになった、点呼未実施の問題。
この一件は、運送業界に身を置く人間であれば、決して他人事ではありません。

問題発覚後、郵政は自動点呼を導入する方向を示しました。
その背景には、

・人手不足で点呼が回らない現場
・形骸化していた管理体制
・「やっているはず」という思い込み

こうした複合的なガバナンスの問題があったとされています。

制度を導入することで、少なくとも「点呼をやっていなかった」という事態は防げる。
その考え方自体は理解できます。


どうしても拭えない違和感

ただ、私がどうしても引っかかるのは、

点呼をやらないよりはマシ

という空気感が、どこか業界全体に広がっているように感じることです。

確かに、
記録は残る。
ログも残る。
監査にも耐えやすくなる。

しかし、それで本当に点呼をしたと言えるのか

点呼とは、本来「チェック項目を埋める作業」ではなかったはずです。


現場で行っている対面点呼という仕事

私の会社では、今でも深夜・早朝を問わず、可能な限り対面で点呼を行っています。
決して効率の良いやり方ではありません。

それでも続けているのには、理由があります。

点呼の場では、日々いろいろなことが起きます。

ある日は、出庫直前に見つかる小さな車両トラブル。
ある日は、急な運行内容の変更。
またある日は、ドライバーからふと漏れる一言。

「実は今日は、体調があまり良くなくて…」

こうした声は、
マニュアル通りの質問では、なかなか表に出てきません。

顔色、声の張り、返事の間。
対面だからこそ感じ取れる“違和感”があります。


機器だけの運行前点呼で、本当に足りるのか

では、これが自動点呼だったらどうでしょうか。

画面越し、あるいは音声のみで、
決められた質問に答え、数値を入力する。

その仕組み自体は、よくできていると思います。

しかし、

・少し無理をしている雰囲気
・言葉にしづらい体調不良
・「今日は正直、運転したくない」という本音

こうしたものを、機器が拾えるのかと言われると、私は不安を感じます。

特に運行前点呼は、その日の安全運行を左右する、最後の砦です。
ここを完全に機器任せにすることには、どうしても慎重にならざるを得ません。


自動点呼を否定したいわけではない

誤解のないように言っておきますが、
私は自動点呼そのものに反対したいわけではありません。

人が足りない現場では、確実に助けになる。
24時間体制が難しい営業所では、現実的な選択肢になる。
記録の正確性という面でも、メリットは大きい。

問題は、任せきりにしてしまうことです。


機器に任せても、責任は消えない

ここは、はっきりさせておきたい点です。

自動点呼であっても、最終責任は運行管理者にある

この事実は、制度が変わっても、何ひとつ変わりません。

事故が起きたとき。
体調不良が見逃されていたとき。
点呼が形式的だったと問われたとき。

「機械がOKを出したから」
「自動点呼だったから」

それは、言い訳にはならないのです。


点呼とは、確認作業ではなく“対話”だと思う

私にとって点呼とは、

法令遵守のための作業でもなく、
チェックリストを埋める儀式でもありません。

人と人が、その日の運行を共有するための対話です。

自動化が進む時代だからこそ、

どこまでを機器に任せ、
どこを人が見るのか。

その線引きを、運行管理者自身が考え続けなければならないのだと思います。


最後に

自動点呼は、あくまで手段です。
目的はただ一つ。

ドライバーが無事に出庫し、
無事に帰ってくること。

その責任の重さは、
制度が変わっても、
機器が進化しても、

決して運行管理者の肩からは降りません

だからこそ私は、
これからも現場で、

「点呼は人の仕事だ」
という意識を持ち続けたいと思っています。

2025年に解禁された「運行前自動点呼」とは何か?その導入背景、ドライバーの健康申告の危険性、異変の見逃し、不正リスクへの対策をわかりやすく解説します。
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